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徒然なるままに、思いついたことを書き連ねます。
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自分の交友録(少年期2)
7月5日

 三重県津市から小学4年の2学期前に、千葉市に転校した。時期がらお祭りだったので、転校草々親しくなった友人数人と自転車で出かけた。金魚すくいを始め、ライギョ釣りが目玉であった。獰猛なライギョを針に引っ掛けて、釣り上げるというものだ。体重が重く、糸も切れやすいものなので、釣れることはない。何度チャレンジしても無駄であった。その他、自分は射的が得意であった。しかし、重い物は当たっても落ちる訳がなく、取れるのはキャラメルか瀬戸物の小さな人形ぐらいである。今から考えれば、当たり前のことであるが、当時は悔しくて何度もチャレンジしたものだ。
 当時の千葉は埋め立て前で、千葉街道沿いまで海で海水浴もできた。海の家を営む友人が二人おり、よく泊まりに行った。夜になると2階の部屋から釣り糸を垂れて、ハゼやコチが釣れた。友人の一人は、運動神経抜群で2階からバク転で下まで降りることができた。
 潮が引くと海の家の柱周りに小魚が集まっており、裸足で歩くと足の下で動くのだ。夏は、潮干狩りもできた。
 近所の友人同士での登校・下校は実に楽しかった。学校では、ドッジボールが相変わらず盛んで、下校時の野原も含め、ほとんど毎日やっていた。津の時同様、毎日自分の家に数人遊びに来ていた。5年生の父兄参観日には、担任の先生が、自分の母親に「いつもうちの生徒がお世話になっております」と言わしめた。親にも参加してもらうゲームの時、担任が「誰のお母さんに参加してもらいましょうか」と生徒に問うと、一斉に「栗原君のお母さん」と言われ、母親も喜んでいた。
 今から思うと、小学生時代転校を重ねたにも拘らず、自分はクラスのリーダーシップを常に取ってていたように思う
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